「おもしろき無き世も、おもしろく」

人と価値観が違う

 

ごはんに行っても、日常会話でも

仕事の話(会社の話)、誰々がどうのこうの、彼女(カレシ)(カラシ?)がどうのこうの、芸能の話、スポーツの話、ゴルフ、保険、健康。

 

‥どうでもいい

 

そうなんですか。と言うのも面倒で

へぇ〜と。

 

一番厄介なのが、

中途半端な人。

 

デキル人はそう話さない。

シンプルに突き詰めてる。

その道を真摯に。

ある意味尊敬する。

でも、遊びというか

人生の意義が薄いようで、なんだか魅力も少ないかも。

 

帰るのが早いと

「何してるの」

と聞かれる。

 

「ほっとけばいいのに」

 

‥と

 

最近まで思ってたが

 

どうやら

 

違うかも。

 

ただ、

 

羨ましいのかも。

 

価値観を持っていることに。

 

人なんて所詮他人。

別個の肉体。

愛する男女間でも99パーセント共有できない。

そら、価値観は

人其々違う。

似ている(であろう)価値観に合わせるためにあるのが、世間話。

心ありもしない

「同等性」に合わせるのは気苦労だな。

 

社会分析も面倒になってきた。

 

ぼくがやりたいこと。

 

「外」の世界で

おもしろい世界をつくること

 

宗教的な意味じゃなくて

個人的におもう

本当におもしろい

世界。

 

いろんな人を繋げたい。

 

できれば、変人たちを。

 

自分だけの世界をもっている

たくさんの人たちを。

 

でも、当初感じていた

「身内感はいや」

 

ヒッピーや森の住人達だけの

仲良し倶楽部とは

目指すのと違うのだ。

 

そう、

「普通」の人にも共感され

共有できる

場をつくりたい。

 

だから、ぼくも

「普通」の世界を体感しに、こっちへきた。

でも、「普通」

に合わせるのは

ぼくにとって

かなり苦、だと

むしろ無関心、だと。

 

でも、視点を変えよう

 

「普通」の人でも

「変」はどこかに抱えている。

慣れて「普通」から飛び出すことを忘れてしまった人、蓋をして様子を伺っている人、実は「普通」に合わせるのも得意で「変」も極めるテクニシャンな人、、。

 

そうか

 

人はだれしも持つ

感性。

 

子どもの頃に全ての人がもつ

瑞々しい世界観。

 

無くなった、のではない。

忘れた、だけ。

 

ぼくにできること。

 

 

これらの人の

「変」を引き出していくこと。

 

 

 

少しずつ

複雑に絡み合った紐を、ゆるりとほどいていくように。

 

今まで

自分だけの世界に固執していたぼくにとっても

大きなチャレンジ。

 

これぞ、

自分の世界だったのを

「自分たち」の世界にするチャンス!

 

ぼくの好きな感覚。

広がること。

知らなかったこと、

知識でしか知らなかったこと、が

全身へ浸透していくように

血が息が駆け巡っていく感覚‥!

 

 

これは本当にチャンスかもしれない。

 

 

本当に。

 

 

普通が蔓延している日常において。

 

「おもしろき無き世も、おもしろく」

 

少しずつでいいんだよね。

心に

テコいれたい。