めも

人間関係の質はまわり、まわる。

 

脳みそをギュッとつかう訓練。

 

仕事は授業と一緒

 

知性、感性の質は

合う合わないに関係する。

 

だからといって遠ざけない

それを近づけようとするのも

度量のひとつ。

訓練

 

立ちどまりしすぎない

もの思いにふける

味のある人間に。

ジムめも

ヨーガ

体幹トレーニング?

疲れ切った後の、リラックスは最高。

溶ける感覚。

正直キツくて

女性を見る余裕なかった。。

 

浜松きて

車ばかり。

体がなまってる。

身体的に「疲れた」がほぼ無くなってしまった。

 

プール

全身のしなり

体幹で支える

大きく漕ぐ

小さくフォーム

 

 

2年目のジンクス

物事は大抵3年周期で、回ってきてたぼくら。

 

1年目は全てが新鮮でやる気に満ち溢れている。

3年目は最年長として責任を持ち、悔いのないようやりきる。

 

ところが2年目。

 

慣れも生じ、まだ上もいる中で下も入ってくる。

中途半端な立ち位置。

 

そう、2年目こそ

中だるみし、ジンクスを抱える。

それは当然でも必然でもある。

 

随分慣れた。

ダルなぁ〜〜

と思いながらもチャチャッとやれば簡単にできる。それなりの地位も持ててきた。

 

ただ、自分の場合、

実感がほとんど持てていない。

あくまでも裏方なのである。

文系卒なら誰しもが抱える悩みかもしれないが、予想していた以上に予想通りだ。

 

我々は何もモノを触れられない。口では言えど、力はない。別にキライではないが、連絡と調整役という、なんともモヤっとした、空気のような。

暖簾に手を押すような。

 

現場の人の姿を見たり、話を聞くことで

「想像」の上では世界はイメージつくようにはなってきた。

 

ただ触感がない。

 

五感に奮い立たせない。

 

そういう人たちを見るとますますそちらの世界へ行きたくなる。

 

別に仕事だけでなく、休日はおもむろにそう活動している。

ただ力が余っているのだ。

 

一人の職人として。

 

 

どうも実感が薄い。

 

話だけで話が進むというのも、不思議で仕方ない。

 

国家は官僚の飲み会で左右すると言うが、

実際には、国境なき医師団がいて、自衛隊がいて、食を作る農家がいて、子を育てる親と教師がいる。

 

まだその境地には立ててない。

 

 

どうすりゃいいか。

 

無理するのは苦手だ。

 

だから

 

無理に環境を変えることはなく

今の立場をうまくフォルムチェンジしたい。

 

"自分に何ができるのか"

 

心と身体を使った営みを、試みんとば。

 

 

 

 

 

可愛くなりたいねぇ〜

可愛ければ

世界どこでも生きていける

そうなんだろうなぁ。

可愛さが人を呼び、運を呼び、ツキを呼ぶ。

 

どこへ行っても

安心感あるんだろうなぁ。

 

包んでやる抱擁力なんていらないねぇ。

 

カッコよさは孤高としているけど

可愛さは広く受け入れられるやさしさがある。

 

野に咲く花のように。

 

つよく

凛と

優しく。

 

 

 

 

めも

○○したいって言う人に限って、なにもしない。

 

それ自体が欲求の発散になるというか、

行動の原動力を薄めてしまうというか。

言うことによって○○したい自分が肯定される→現状維持。

 

欲求

程よく留めておくのがよい。