多元的無知

興味深い言葉。

 

「集団の多くの成員が,自らは集団規範を受け入れていないにもかかわらず,他の成員のほとんどがその規範を受け入れていると信じている状態」

 

●今自分がしていることは、本当に己の意思なんだろうか。

 

社会に出て就職して、結婚して子供を生む。

なんてストーリーも

多元的無知かもしれない。

 

個人の意思はないという考えもある。

チリ積もればヤマの考え方。

 

●性別の話。

パプアニューギニアでは、女性は神に反する最大のケガレとして捉えられ、男同士のホモセクシュアルな関係が大変多い。

男がより多くの男と関係を築くことで、神聖さと権威をアピールできる。

 

日本は島国であれど、世界をリードし、世界とつながるグローバライズな国。

「世界」という規範には一応乗っている。

 

世界の規範が無いor隔離されている

地域では未だにそうなのだ

当たり前 と信じられている。

それがこの隔離島国では"規範"なのだ。

 

●規範は社会で異なる。

社会の大きさは様々。

重複し合う社会もある。

 

どんな社会であれ、暗黙知に働く規範は何なのか読み解くのは面白い。

流れに載せた方が

強い意思は不要なのでラク。

でも、時には疑問も抱いておきたい。

もし、意思や思いがあるなら

個人の責任を打って行動に出るべき。

 

他の人も名指しで巻き込むのが使命。

 

そこから新しい社会規範はできるのだから。

 

今ある"社会"も

どこかの個人を起点に、個人を呼び寄せ、作られたものだと私は思う。

自然発生的であれ、社会生成は小さな輪から、大きな輪へと広まる。

いずれ広まったときには、多元的無知は起こらざるを得なくなるだろう。

 

良くも、悪くも。

 

この考え方は非常に興味深い。

悪用の予定は毛頭無いが、今後道を開くときイメージセンサーとなるはず。