さぁやろう

ここ半年ほど

すぐれない気持ちでいた。

なにか波に乗れない自分がいた。

昨年末のマラソン不完全燃焼に始まり。

 

あの頃の、バイタリティや燃えるような熱い想いがすっと影を潜ませていた。

とにかく動けばいいやと、身体はあちこち走り回っていたのだか。

就活の頃と全く同じパターンだぜ。やれやれ。

 

人は上手くいかないことがあると

"あの頃"の記憶を頻繁に呼び戻そうとするのかもしれない。

あの頃が再現できるかもしれないと期待して。

ただその時点で自分は今此処にいない。

それを真似ようなんて、もう未地への気概がないことに気づくべきなんだ。

 

バカだねぇ。

 

やる気がないなら、少しボーッとして

また少しばかりのやる気が出るのを工夫すればいいだけなのに。

 

そりゃ仕事はめんどいぜ。

 

納得できないこと多いし、細かいし、うるさいし。

 

センスよく出来ればと常思う。

 

でも、こうも思う。

 

 

ドンと強く構えてりゃええやないか。

 

 

何があろうと、正面から真っ向していけばええやろ。

 

 

元来、不器用だし。

 

何もよりすがりを求めなくていい。

 

好きに動き回って

冒険するのが好きなのだ。

 

小手先のテクニックでは、到底先は見えない。

 

長い道のりを力強く、真っ直ぐに押し出してくれる原動力は「好きだ」という感情であろう。

 

それは人個人で違うし、言葉では表現できない。

 

ほっておいても目がそっちにいき、

身体が勝手に動いて、

しまいには手放せないものになってる。

 

そんなものを、

皆何か一つ持っているはず。

そのために大学まで教育を受け、経験を積んできたのだ。

 

「好きだ」 という気持ちは絶対に裏切らない。

 

これだけは短い人生だが確信できる。

 

 

だから、人は好きなのものに熱中し、愛を叫ぶのだろう。

 

 

とは言え、まだ小僧で

そういった感情の原石はあるものの、荒削りというのが実情。

 

もっと精度を磨きたい。

もっと身体的な感覚を掴んでいきたい。

雰囲気や風格で出る、あの滲み。

 

そんな所。

 

 

知らないことに、もっと知りたい

って思うことからね。

 

ソクラテスが「無知の知」と言っていたのを見て、こう文章を書こうとしたんだし。

 

 

いけー、のぼれー、やまー!