家族

先週は帰省していました。

 

GWはほんの一日寝に帰ったようなので、

ちゃんと帰省したのは正月ぶりでした。

 

父の日ということもあって

久しぶりに家族と時間を過ごせました。

 

「ここの家庭に生まれてよかったなぁ」

 

こうしみじみ思ったものです。

 

どんな気持ちで

どんな顔で帰ろうとも、なにも言わずにむしろ優しく出迎えてくれる。(いい意味で適当に)

 

母も父も

自分の好きなことをやっていて、息子に話を聞いてほしいといわんばかり。

 

弟もついに?反抗期をのがれ

ようやく男同士の会話ができるように。

これからが楽しみだ。

 

それぞれの成長もあって

でもやっぱり家族、っていうのがとても暖った。

 

こんなことに最近ようやく気がついた。

 

あれだけ歯向かっていたのに。

あの頃はどうしても家から出たかった。

世の中を斜めに見ていた。

兎に角誰かに物を言われるのが嫌いだった。

 

でも違うんだ。

 

知ろうと、感じとろうと、

してなかったんだ。

 

自分に膜を張って

つよがり、外にも内にもトゲをつくってたんだ。

 

あぁこんな大事なこと。

 

でも全然遅くないと思った。

 

まだまだ皆健在。

 

できるうちに沢山のことをしたい。

家族ってのは、別に子が子のうちだけじゃないんだ。

恩「返し」というのは、何も求めてないのは明らかにわかる。

 

だから、精いっぱい今の自分を生きたい。

 

そして、また帰った時に

いい顔を見せてやりたい。

 

また、皆がそれぞれに

生きがいとなれる道に進めるように。

 

そうやって

近づき離れずの関係を。

 

こんな暖かい思いは

やがて僕にも家庭を育みたいとさえ思わされるようになった。

 

それは決して自分だけの直感や決意ではない。

 

親子の新たな関係、兄弟の強い信頼、まだ見ぬ妻の思い、そして妻の家族・友人たち。

 

たくさんの人がいて

そして僕がいる。

 

子ができ、家族ができると

苦かれ楽しかれ

また感じ方も全く違うものになるんだろうなぁ。

 

立場がひとをつくる。

 

 

 

 

 

さぁやろう

ここ半年ほど

すぐれない気持ちでいた。

なにか波に乗れない自分がいた。

昨年末のマラソン不完全燃焼に始まり。

 

あの頃の、バイタリティや燃えるような熱い想いがすっと影を潜ませていた。

とにかく動けばいいやと、身体はあちこち走り回っていたのだか。

就活の頃と全く同じパターンだぜ。やれやれ。

 

人は上手くいかないことがあると

"あの頃"の記憶を頻繁に呼び戻そうとするのかもしれない。

あの頃が再現できるかもしれないと期待して。

ただその時点で自分は今此処にいない。

それを真似ようなんて、もう未地への気概がないことに気づくべきなんだ。

 

バカだねぇ。

 

やる気がないなら、少しボーッとして

また少しばかりのやる気が出るのを工夫すればいいだけなのに。

 

そりゃ仕事はめんどいぜ。

 

納得できないこと多いし、細かいし、うるさいし。

 

センスよく出来ればと常思う。

 

でも、こうも思う。

 

 

ドンと強く構えてりゃええやないか。

 

 

何があろうと、正面から真っ向していけばええやろ。

 

 

元来、不器用だし。

 

何もよりすがりを求めなくていい。

 

好きに動き回って

冒険するのが好きなのだ。

 

小手先のテクニックでは、到底先は見えない。

 

長い道のりを力強く、真っ直ぐに押し出してくれる原動力は「好きだ」という感情であろう。

 

それは人個人で違うし、言葉では表現できない。

 

ほっておいても目がそっちにいき、

身体が勝手に動いて、

しまいには手放せないものになってる。

 

そんなものを、

皆何か一つ持っているはず。

そのために大学まで教育を受け、経験を積んできたのだ。

 

「好きだ」 という気持ちは絶対に裏切らない。

 

これだけは短い人生だが確信できる。

 

 

だから、人は好きなのものに熱中し、愛を叫ぶのだろう。

 

 

とは言え、まだ小僧で

そういった感情の原石はあるものの、荒削りというのが実情。

 

もっと精度を磨きたい。

もっと身体的な感覚を掴んでいきたい。

雰囲気や風格で出る、あの滲み。

 

そんな所。

 

 

知らないことに、もっと知りたい

って思うことからね。

 

ソクラテスが「無知の知」と言っていたのを見て、こう文章を書こうとしたんだし。

 

 

いけー、のぼれー、やまー! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フンデルトヴァッサー

今度ドイツいくセンパイがいく街にある。

 

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大阪舞洲のゴミ処理場もそのひとのらしい。

 

高層ビルは興味ないけど、こういう建築はすごく興味あるなぁ〜 

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人に目を配らせると、

自分の興味にも繋がるなぁ。

 

 

 

好きなようにやる

最近おもうのが

「好きにやってる人はつよい」

 

仕事も2年目になり、改めて、どういう思いでやっていきたいのか?

と問うたとき、パッと出てこなかった。

 

少し悲しかった。

 

学生時代自分がやってたことには、考えや理想、パッションやらあったんやけどなぁ。と思いながら。

 

この違いはなんやろう。

 

「好き」かどうか、やなぁ。

 

 

しかし、

 

ふと、思った。

 

じゃあ、別に仕事だけじゃなくて、普段から好きなようにやったらええんちゃうの。

 

山が好きやし。

体動かすのも好きやし。

関西弁も好きやで。

 

そう思いながら日々を過ごすと、なかなかに面白い。

 

別に責任放棄した訳ちゃう。

 

妄想しながら、仕事やるとなぜか失敗しない。

失敗しても引きずらない。早く終わらせたいからフル回転で頭を使う。

人に頼みごとされても

了解っす!なノリで大らかに受け止められる。

 

なにより楽しげにやってると

周りも優しく接してくれる。

 

わざわざ楽しいひとを咎めようなんて

卑屈な人いないんだろう。

 

ひとを許すこともできる。

 

 

向き合いすぎるのも、クナンですなぁ。

 

 

好きなようにやってたら、仕事もできてきて

色んなことを与えられるようになり面白くなるってのが一番エエなぁ。